日寛上人 六巻抄


日寛上人 六巻抄
昭和60年8月19日発行

発刊に当って

 今回、日寛上人の畢生の大著たる六巻抄を、顕正会において発刊させて頂いたことは、無上の喜びとするところである。
申すまでもなく、日寛上人は日蓮正宗総本山大石寺第二十六世の御法主、そして不世出の大学匠であられる。
 いま上人の御出現の意義を思うに、上人は大聖人御入滅後三百八十余年に御出現、この時代は既に不相伝家における邪義が出尽くした時であった。
 ここに上人は、本迹迷乱の安国日講、種脱迷乱の広蔵日辰・癡山日饒等、国中の諸学者の邪義の根を断ち伐り、日興上人以来の正嫡相伝の秘奥を以て、御本仏日蓮大聖人の三大秘法の正義を余すところなく顕示され、後世に誤りなからしめ給うたのである。
 まさしく日寛上人こそ、未来事の広宣流布に備えて、教学上の完璧なる御用意を遊ばすために出現された超凡絶倫の聖者と拝すべきである。
 そもそも大聖人御弘通の三大秘法は、寿量文底の秘法、最大深秘の正法、久遠元初唯密の正法であれば、たとえ御書を拝すとも、凡夫の誰人がその甚深の聖意を窺い得よう。
ここに末弟の我等は、ただ日寛上人の智目を通して、始めて三大秘法の御法門を正しく信解し得るのである。
 上人の御著述は数多にのはるか、この六巻抄は上人一代の御指南をしめくくり総括された要本である。
 その成立を見るに、六巻の第一たる三重秘伝抄は、上人四十九歳の学頭職の時すでに草案が成り、長く笈中に秘蔵されていた旨がその序文に記されている。恐らく他の五抄の草案も同様であろう。而して御歳六十一、御遷化の前年に至り、この草案に若干の添削を加えて一気に清書、以て後世に留め給うたのがこの六巻抄である。
 まさにこの抄中に、上人一代三十年の言説は要約され、日蓮大聖人の御本懐のすべてが収められているのである。
 そして日寛上人は御臨終の証拠を以て、御自身の言説が仏意に叶うことを証明し給うた。すなわち御遷化の歳の二月、江戸常在寺において観心本尊抄を講じ終えられた上人は、一座の大衆にたわむれのごとく仰せられて云く
 「法華経を漢訳したかの羅什三蔵は、自身の訳経の誤りなき証拠として、生前大衆に“我が身死して火葬に付する時、身は灰となるとも舌ばかりは焼けず” と語っていたが、果せるかなその通りになった。ゆえに羅什の訳経は後世に信じられたのである。いま日寛たとえを富楼那の弁を得、目蓮の通を現ずるとも、云うところ当らざれば誰人が信じよう。ゆえに羅什の故事にちなみ、いま日寛も一つ云い残すことあり。すなわち日頃好むところのソバを、臨終の時に食し、唱題のうちに臨終すべし。この云うところ当らざれば信ずるに足らざるも、もし違わざる時は、日寛の所説は大聖人の御意に寸分も異ならずと信ずべし」(取意)と。
 果して日寛上人の御臨終は、この御予言のままであった。思うに、仏意に叶わずして、どうして臨終にこのような御振舞いが為し得よう。以て上人の御指南の仏意に叶うことを、仰いで信じ、伏して思うべきである。
 而して上人この六巻抄を学頭の日詳上人に託されて云く
 「此の六巻の書の師子王ある時は、国中の諸宗諸門の狐兎、一党して当山に襲来すといえども、敢て驚怖するに足らず、尤も秘蔵すべし、秘蔵すべし」と。
また本抄に云く「此れは是れ偏えに広宣流布の為なり」と。また云く「公場に非ざるよりは、妄りに之を宣ぶること莫れ」と。
 かかる秘蔵の重大法門書を、いま顕正会員は広布の時来るがゆえに、ほしいままに拝し得るのである。なんと有難いことではないか。
 もし一心に信読を重ねるならば、御本仏大聖人の御本懐、了然として掌に拝す思いを得るであろう。
 いま広布前夜に生を受けた顕正会員こそ、この六巻抄を心肝に染め、以て一国広布の大仏事に身を投すべきである。

昭和六十年八月十九日
日寛上人第二百六十年御正当の日

日蓮正宗顕正会 会長浅井昭衛






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